呪いは薔薇色

 これは、自分で自分のご機嫌をとるために、自分だけのためを思って書いた、自分向けの、自己満足の文章です。オタクの自我がかなり強く出ていて、好きなアイドルについての言及も、うわ~読む人を選ぶ内容かもな~と思っています(知らんけど)。

 

 とはいえ自分が文章を書くうえでたいせつにしていることがあって、その信条というか、恩師との約束を守りたいなと思うので、誰でも読める場所に置いておきます。置かせてもらいます。そんなわけで、以下の文章は全世界に向けて発信はしているものの、私が、他の誰でもない私に、私だけのために書いた文章、並べた言葉、吐露した思いです。もしお目通しいただく際は、その旨ご理解いただいたうえで読み進めていただけたら、と思います。

 

 

 

 

「一生あなたを許しません」という言葉が、あの冬の日以来、ふとした瞬間に過ぎっては私の体を強張らせる。そう言われるだけの行いをした、と思う、私は。だから「一生あなたを許しません」と言われて然るべきだし、その言葉を指の先に刺さってなかなか抜けないままの棘みたいにしておいたほうがいいとすら思う。そうでもしないと、素知らぬ顔で同じことを繰り返しそうだから。

 

 私を許さないと言ったあの人は、今、私のことなんて覚えていないんだろうなあ。というか、それでいいと思うし、そうであってほしいと思う。私ではなく、相手のために。だって怒りを持続させるのって大変だし、もうあの人が私に怒りを持ち続けるだけのモチベーションが、あの人自身の中にないと思うから。時間は有限だからこそ、もう関わり合いにならない人間への怒りなんか捨てて、忘れていってほしい。

 

 まあ、言われたこっちは、その言葉を引きずっているし、その時に交わした約束を律儀に守っているんですけどね。

 

 約束は守ったし、今もちゃんと守ってる。あの頃、私含めあの人を深く傷付けた誰もが約束のことなんて知らなくて、あの人本人も忘れてるかもしれないけど、私だけ、ずっと、ず~っと約束を守って、生きている。えらいじゃんね~(当たり前です)。

 

 たぶんあの言葉は約束なんてたいそうなものじゃなくて、のろいだ。あの頃のあの人の思いが、悲しみが、憎しみが、苛立ちが、絶望が、あの言葉に乗っかって、のろいみたいに私を縛っている。別に、約束を反故にしたってバレやしないだろうけど、でも、のろわれてるからなあ。良くも悪くも、言葉を重く受け止めすぎてしまうんだと、思う。こんな自分の性格が、好きだけど、どうしようもないな、って呆れてしまう。

 

 私をのろう言葉がある一方で、思い出すだけで胸の中のつかえがとれるような、まじないの言葉だって、私は持っている。教室で、バス停で、階段で、私がいない居酒屋で、出かけた先で、差し入れの手紙で、教授の研究室で、卒業公演の反省会で、稽古場で、オーディション会場で、駅のホームで、思い出せば勇気にかわるまじないの言葉を、たくさん貰った、たくさん受け取った。

 

 人から受け取った言葉に縛られてるときもあるけど、それ以上に救われてるときのほうが多くって、まじないみたいな言葉を抱えきれないくらい持って生きていけたら幸せだろうなって感じるから、たいせつにしたいと思える言葉を受け取れるだけの人間でありたいな、と、思います。

 

 そう考えていくと、宮舘くんが届けてくれる言葉は、勇気にかわるまじないであるときのほうが圧倒的に多いんだけど、時々、私の気持ちの持ちようなんかにもよって、のろいみたいな手触りに変わるときがある。

 

「愛し合おう」「待ち合わせ場所に来てくれてありがとう」って、あなたがよく言ってくれる言葉。とっても嬉しくって、体の内側が「あなたが大好き!」っていう気持ちであふれて、吸いっぱなしの空気をはあ、っと吐き出せるみたいな、幸福感と安心感がある。不思議な人だなあ。言葉を、丁寧に、まっすぐに、無理して飾らないで渡してくれるような人だなあとずっと思っているのだけど、やっぱり彼の言葉に触れるたびにより好きになる。おまじないだよ、あなたの言葉が。

 

 だけど、時々のろいみたいに思うのです、あなたの言葉を。「合う」って、1人では、1つでは、成り立たない。宮舘くんがいて、そして私もいないと、成立しない言葉で。しかも、私が、宮舘くんを愛していること、宮舘くんが好きだから約束の場所で待っていることを、宮舘くんが信じてくれて、同じように思いを返してくれないと、成立しないから。「合わせる」って、易しくない。

 

 本人が人生において、「言葉」というものにどれくらいのエネルギーを向けて生きてるかなんて、知らないし、分かるはずもないし、分かっているつもりになりたくないけど、「2人でなければ成立しない言葉である」と、理解しながら使っているかどうかって聞かれたら、う~ん、そんなことなさそうだな~、と、思います(失礼だよね~(引用:このボケだぁーれ?))。

 

 意味を十分に理解して使ってるんだとしたらそれはそれでドキっとするけど、分かってないのに使っているほうが、怖い、かも。「好きでいてね」という、のろいみたい。しかも無意識で思ってるんだとしたら、なおさら、つよく願ってるみたい、だなあ。

 

 言葉の裏側にあなたがいろんな思いを込めてるかどうかなんて知らないけど、無意識にそういう言葉を選べるとしたら、まじないの言葉はのろいみたいな側面も持っていてぞくぞくする。し、もし無意識でそういう言葉を選んでいるんだとしたら、あなたの言葉選びのセンスに嫉妬します、私は。悔しい~。語彙の量なら、まあ負ける気はしないけど、でも、私は彼みたいに無意識下で自分の思いを十二分に伝えられる言葉を選べない。たくさん言葉を知っていたって、どれがいいかなって悩んで選んで並べる私と、ポポポンっと選べるあなた。悔しいな~。でも悔しいって思うぐらい私にないものを持っているからこそ、惹かれるわけでもあるんだろうなあ、と。

 

 もし、私があなたを愛さなくなったら、待たなくなったら、「愛し合おう」も「待ち合わせ場所に来てくれてありがとう」も、私の耳にはどんなふうに聞こえるんだろう。そんないつかのことを考えて、心臓が痛くなって、胸の内がざわっとしているうちは、あなたをとびきり大好きでいる証拠だと、思う。

 

 のろわれているから好きでい続けるわけでも、まじないをくれるから好きでい続けるわけでもなくて、シンプルに「好き」って思って、この人の魔法にかかり続けていたいと思うから、私は、宮舘くんを応援していきたいな、魅了され続けたいな、と、思います。ロイヤルな魔法が、呪い(のろい)でも、呪い(まじない)でも、なんだっていいよ。愛するから、愛してね。あ~あ、こんなふうに考えられるようになれた私、よかったねえ。宮舘くんのお陰です、ありがとう。これからもよろしくお願いします。

 

2022.11.08